エベレスト街道 人の幸せとは何か。偉そうに語ってみる。
zzz…。眠れなかった。隣の部屋のインドから来た方が、ハチャメチャなイビキをかいていて、夜中うるさくて眠りが薄く、ほとんど眠れていない状態となってしまった。せっかく高山病もマシな状態となっていって眠れるかな~と思っていたのに、そう簡単には寝らせてくれない…。
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ゴーキョからドーレまでの工程
6時半に朝食をすませた僕は、足早にゴーキョを出発!早く、少しでも標高を落としたい!これからは下り。これ以上標高を上げることは無いと思ったら、なんと清々しいことか。あまり眠ることが出来なかったにも関わらず、足取りは軽やかだ。鼻歌なんかも自然と出てくる。
サガルマータ国立公園では、全てをやり遂げたといった気持ちになった。大変であればあるほど、物事をやり遂げた達成感は大きい。山登りが一つの典型的な状態だろう。マラソンにしてもそうだ。
シンドイことを行っている人の気持がわからない。とよく言われる。正直、マラソンは僕自身やった事が無いので、「なぜ」と思う。ただ走るだけで、シンドイだけなのではと思う。でもやっている人にとっては、その大きな達成感があり、幸せな感情がそこに沢山あるのだろう。その背景の想像だけは出来る。それらと一緒な状態に僕は今、なっている。達成感の大きさ、幸せの大きさは、人それぞれ。同じことを行ったとしても、その人の心一つで、大きさは変わってくる。
話は全然変わるが、人の幸せは、その人の考え方で変わってくると思っている。松岡修造の言葉を借りると「苦しい時ほど、笑ってごらん」この言葉が伝える通り、肯定的に物事をとらえ、いつもニコニコしていると、人は人を呼ぶようになり、幸せな人生を送ることが出来ると信じている。苦しみを味わったとしても、次に繋がる何かの布石ととらえれるような、自分を客観視出来る自分が大切である。客観視している自分が、苦しんでいる自分を笑ってあげればいい。そんなふうに思えるようになってきたのも、山々を見るために、沢山海外で経験した物事が、自分の視野を広げていき、日々の苦しみがどれだけちっぽけなことかと客観的に見ることが出来るようになったからに間違い無い。
僕はたまたま、山と写真が好きで、こういった形で成長出来たのだが、それはマラソンでもどんな物事でも、あることだろう。人それぞれに、模索すれば良いのではないだろうか。偉そうでしたね(汗)スンマセン(汗)
明日は一気にナムチェバザールだ。一気に下りの様相だ。苦しみを与えてくれたエベレスト街道。お前を忘れない(^^)
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