文鳥のぶんちゃん
今日、仕事が終わって、生ぬるい風の中、外で座っていたら、トンボが足にとまった。捕まえようと思い、指をぐるぐる回しながら、トンボの目をまわしていたが、すぐに逃げられた。
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しかしまた、今度は肩にとまった。今度は捕まえることをやめて一緒に今日の疲れを癒やすかのように、座っていた。
その時、ふと小学生時代に飼っていた、文鳥のことを思い出した。その文鳥の名は「ぶんちゃん」そのままである。
その文鳥は、近所の家で、文鳥の赤ちゃんが生まれ、譲り受けた文鳥だった。
世話をしっかり行うということで、家で飼えることなり、子供ながらに一生懸命、鳥かごの糞を掃除したり、水をあげたり、餌をあげたりと世話をしていると、いつのまにか手乗り文鳥になった。それはもう、家中の人気者。たまに糞をして、嫌われるが、それはそれは可愛い限りであった。
そんな可愛らしい「ぶんちゃん」はリビングで一緒にテレビを見たりと、家族同然になっていた。
そんな「ぶんちゃん」にも寿命がある。ある日、なにか最近、元気がなくなってきたな~と思っていたら、鳥かごの中の寝床から出て来なくなって、弱々しい限りの姿となっていった。
寿命が近いのは分かったが、あまりにも可哀想な姿を見かねて、父親が寝床から「ぶんちゃん」を取り出し、手のひらで優しく抱きかかえ、お経を唱え始めた。
父親は、毎日朝30分以上、お経を唱えて先祖を供養している信教深い方である。
そんな父親が、お経を唱えていると、動くことも出来なかった「ぶんちゃん」はほんの10分程であるが、元気に鳴き、元気に飛び始めた!!
子供ながらに、泣いた記憶を思い出した。
その後、すぐに「ぶんちゃん」は命を引き取った。
その光景を見た時、神様というか、ご先祖様は、私達を見ていて、守ってくれているのかなと、感謝したのを憶えている。
一匹のトンボが、そんな心がじーんとする記憶を呼び覚ましてくれた。
有難うね、トンボさん。そして忘れてないよ「ぶんちゃん」。
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