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ワーキングホリデーの歩き方⑥

ホテルのベットメイクは良い仕事であった。日本の方が多く泊まる、そのホテルは、チップを置いてあるからだ。チップは給料とは別に自分のものとなる。

日々の生活費は、チップで賄うことが出来た。

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豆知識ですが、チップを置いてくれている人は、日本人だけであった。律儀な国民性は私は好きである。アメリカの方などは、たまに、札を置いていく方もいて、驚くことがあるが、一セントを置いていくこともある。一セントを置くことは、気に食わなかったという証拠らしい。気に入れば、大金を置くし、気に入らなければ、はっきりと表現する。そんな国民性が垣間見える職場であった。

そんな日々を過ごしながら、相変わらず、毎週のように地図を開き、トレッキングを行っていた。

バーミリオンレイクという湖があった。そこは住んでいるところから、自転車で10分もかからない近い場所であった。そこは、ランドル山と湖が織り成す、近場での一番好きな場所であった。朝と夕方いつもそこに通い、写真を撮り続けた。

少しずついい写真が撮れる様になってきた。写真は誰に教わる事なく、自分で撮って見て、撮っての繰り返しで、腕が上がってきたように思う。とゆうか、私の数々の良い写真は、情熱で成り立っている。芸術センスの無い私は、構図がどうこうというより、頭でイメージした、風景を写真に収めたい。その一点が非常に強いので、同じ場所に、何時間もシャッターチャンスを待つことになる。なんの苦でもない。楽しいのだ。その一瞬の風景を撮ることが・・・。

それから月日が流れ、とうとうカナダの本格的な冬を前にする。私の住んでいる家は、相変わらず熱い(^^)

皆がそうするように、私も仕事を辞めた。冬何をするかというと、スキー場のシーズンパスを買って、スノボー三昧なのだ。

サンシャインビレッジスキー場のシーズンパスを買い、毎日オンボロの車に乗って、スキー場に通う。毎日のことなので、週休2日くらいだったろうか、もうイヤーになって、「今日も行くの」と、文句を言っていたものだ。贅沢な話である。

そんな頃から解ってきたことで、ワーキングホリデーの終わる頃に皆、旅行をして帰るという慣わしみたいなものがあった。

私はお金が尽きて、どこへも行くことは出来ないなと思っていたが、噂でアラスカがすごくいいと聞いていた。

山好きの私としては、気になるところであった。私は密かにこのワーキングホリデーが終わったら、日本でお金を稼いで、アラスカへ行こうと心に決めていた。ユーコン川の川くだりをする人などもいるが、私はマッキンリーが見たい。そんな思
いがこのころから芽生えてきていた。

そして予定よりも早く私は日本に帰国することになる。

連れの女の子がスノボーで骨折して、帰らなければならなくなった。その付き添いで、帰ることにしたのだ。

これが、私の始めての海外であり、冒険であった。

20年以上たった今も、ここで一緒に暮らした友達とは、日本で会うことになっていく。

有難う、第二のふるさとカナディアンロッキー「バンフ」いつか必ずもう一度来ると誓って、帰国した。

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