ワーキングホリデーの歩き方⑤
仕事は、ホテル厨房で主に、朝食の仕込みの仕事であった。ジャガイモの皮をむいて、大きな寸胴に水を張って入れておくことや、時にはスクランブルエッグを作ってみたり、忙しい日々を迎えた。
住んでいるところは、二人部屋であった。しかもその相方が、50歳を過ぎている長老っぽいネイティブカナディアンと一緒であった。めちゃくちゃ気を使って生活しなければならなかった。どうにかならないかと思い、職場に居た日本の方に相談すると、家に来ればと言われた。
私はその状況からすぐにでも抜け出したかったので、即決した。
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この決断と出会い!これも私のワーキングホリデーの重要な分岐点となる。
その家は、ベースメントに女の子、一階にリビングダイニング、2階に男の子が住んでいる一軒屋で、全員日本人で、8名ほどで共同生活していた。めちゃくちゃ賑やかしい家であった。
それぞれ違う仕事をしているが、なぜか寄り集まって、共同生活をしている。
男女の色恋は全く、うまく生活していた。私のカナダでの生活のほとんどが、この家で過ごすこととなっていく。
それはもう、言葉に表せないほど、日々が楽しい。一週間おきに男性夕食担当。女性夕食担当と変わっていく。毎日大人数で、大宴会(^^)本当に楽しい。
食事の後は、ボードゲームやチェス、ギターを弾き歌を歌う者、それぞれの楽しみを皆で行い、それはもう楽しいってものじゃない。幸せすぎる。さらには、違うところに住んでいる日本の方や、ネイティブカナディアンまで、寄り集まってくる家であった。
平日の昼間、一人仕事が休みであった時、私はふと思った。
一人静かにその賑やかな家にベランダにイスを持ってきて、外の美しい山々、カスケイド山、ランドル山などを眺めていたら、ふと、ほんと、ふと、私はこの世で、一番幸せな瞬間を過ごしているなと思った。誰がどうのこのとかでは無い。自分が自分の心の中で、世界で一番幸せだと思った。そう思えば、私は世界で一番幸せなのだと。
そんなことを思ったことは、過去にもその後の人生でも無い。あの瞬間が、私の生きてきた中で一番幸せな日々であったことは間違いない。
そんな、生活を何ヶ月もすることとなる。
休みが合えば、毎日のようにトレッキングに通った。カメラ片手に、まだまだへたくそな写真しか撮れないが、出来上がりが楽しみでならない日々が続く。その出来上がりを見てもらい、評価をもらう。「これ綺麗やね」と写真を褒められると、なんとも嬉しい気持ちになった。
その家で生活し始めて2ヶ月後に、仕事を変えることになった。
ハウスキーピングを行う事になった。ハウスキーピングとは、ホテルのベットメイクのことである。
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つづく